たとえば、テーブルの上にリンゴが置いてあったとして。 このリンゴが、『間違いなくリンゴである』ということを証明するために、あなたならどうしますか? ――目で見てみる。 確かにリンゴが置いてあるように見えますね。 けど、ひょっとしたら立体映像かもしれませんよ。 ――手で取ってみる。 さわり心地や質感もリンゴそのものです。 けど、よく出来たフィギュアかもしれません。 ――匂いを嗅い...
たとえば、テーブルの上にリンゴが置いてあったとして。
このリンゴが、『間違いなくリンゴである』ということを証明するために、あなたならどうしますか?
――目で見てみる。
確かにリンゴが置いてあるように見えますね。 けど、ひょっとしたら立体映像かもしれませんよ。
――手で取ってみる。
さわり心地や質感もリンゴそのものです。 けど、よく出来たフィギュアかもしれません。
――匂いを嗅いでみる。
うーん、リンゴの甘酸っぱい香りがします。
けど、それだって人工でつけてあるのかも。
――食べてみる。
食べてみると、リンゴというよりは桃のような味がしてビックリ。
これって、本当にリンゴ??
まあ、それが本当にリンゴかどうかはさておき、結局は自分たちは、体に備わっている触覚をもって、リンゴがそこにあることを認識するしかないわけです。
そこにあるリンゴの本質を、本当の意味で分かっているわけじゃないんですね。
光の反射を利用してものを見たり、空気の振動を利用して音を聞いたり、指先に集まる神経を伝わる信号により、ものに触れていると確認したり。
これって全部、間接的な認識手段でしかないのです。
なんで自分が突然こんな話をしだしたかというと、実は単純に思い出したからなんですよ。
十年以上前に読んだ【幾千の物語】">小説に、書いてあったんです。そんな内容が。
といってももう、うろ覚えなんですけどね。
確かこんなことを書いてあったような気が……という程度の儚い記憶です。
実際に起こったわけではない、フィクションの出来事。
物語の、ほんの一節。
けれど、それは私にとって、下手な事実よりもよほど真実だったりします。
たとえば今日食った飯のことは、近い将来私はきっと忘れてしまうことでしょう。
けれど、けれどたとえどんなにうろ覚えでも、あの日出会ったこの物語のことを、記憶からなくしてしまうことはないと思うのです。
実際には存在しないリンゴのような、物語。
それが私の始まりの物語。

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